生の霊 いのち

 ここに掲載される予定の写真たちを並べ、まだ深い哀しみのただ中にいる娘にどんな言葉を使ってその了解を得ようかと、考えあぐねている。否、言葉ではないだろう。父親としてでなく、写真を撮った者としてどんな思いを抱いているのか、それをいま自分自身の中でより明確にしなければならないのだと思っている。
 家族の写真ならこれまでも何千枚と撮ってきた。笑顔が並んだ写真たちはどれも思い出深いものではあるけれど、もしかするとそれだけのことでもあった。どこにでもある、ごく普通の思い出だった。なのに、あの日以来、まるで手に取ればわかるほどにすべてが一変してしまった。家族の関係も、関係するだれの心模様も、そんな家族が写る写真たちも、現在も未来も、すべてが変わってしまった。
 この変化に意味を与えるとすれば、いったいどんな言葉で表すことができるだろう。それを娘にも伝えればいいのだろうが、どうにも簡単ではない、気がする。変化の奥底にあるものは、どうかするとすぐにでも壊れたがっている計り知れない哀しみなのだ。それぞれの痛みを包み込んでいるものは、あの子どもの頃よく使ったオブラートのような薄っぺらい皮膜なのだ。それを無邪気な好意で引き裂くわけにはいかない。見えないものを言葉に置き換えようとするなら、それなりに本気と覚悟が必要だろう。大切なものが言葉というただの記号になってしまうこともあり得るのだから。
 あの日のことを、もう忘れることはない。
 久しぶりの仕事で夜遅くなった。なにか重大な出来事が起きると、いつも必ずといっていいほど仕事が重なっている。勝手知る家のドアを開けた。すでに忌中の紙が下がっている。見知らぬ顔や親戚連中がまだ何人も残っていた。到着に気づいて、息子を喪ったばかりのおかあさんが迎えてくれた。言葉が出ない。互いにそうするしかないようにして、抱き合い、泣いた。促されて、眠る人の傍らに歩み寄る。数人が見守る中、手を合わせ、言葉をかけた。心からの言葉、というつもりだったのに、声に出しながら、それを演じている自分に気づいていた。自分を離れて、自分を見ている、どこか覚めたもうひとりの自分がときどき現れる。(そうなんだよ、豊、これって演技なんだろ)。心でもつぶやいてみた。
 二階の、家族三人が寝室に使っていた部屋へと、覗くようにして入る。娘を、妻を、抱きしめてやろう。そう思っていたのに、「おかえり」と、まるでなにごともなかったかのように静かに迎えられ、いくらか気が抜けた。(また演技しようとしていたな)。妻が娘の常識を逸した日中の振る舞いを伝えてくれた。笑い話でも聞くようにして、静かに耳を傾けた。(なにしたっていいさ、これ以上ないようなとんでもない哀しみが襲ってきたんだから)。ずっとそばにいてやりたかった。そばでいっしょに、同じように振る舞いたかった。
 あの日から、娘との距離が近くなった、などという程度の言葉では足りない。この父ははじめて娘に出合ったのだ、と今では思っている。
 通夜の晩もそうだった。娘の、近寄る幼子を拒否する態度がゆるせなくて、はじめは静かに諭そうとしていたのが、調子に乗ってつい大声で怒鳴りつけてしまった。まったく馬鹿なおやじだ。哀しみのなんたるかをちっとも知らない。眠れない夜、娘が降りてきた。「おとうさん」、と呼んでいる。暗がりの中で悲しい目をしてつぶやいた。「見捨てんといて」。抱きしめることしかできなかった。階段に腰掛け、肩寄せ合い、何時間も話し込んだ。通い合うと、心なのかその場なのか、なにかに包まれてあったかくなる。命あるかぎりお前を守りつづけたいと、またドラマのように声を出して言ったかもしれない。
 命とは、いったいなんだろうか。命あるかぎり、などとわかったような顔をして口にしている、命。記号のような言葉を並べるしかない者でも、考えることを止めないでいる。
 ここに言葉がある。
 命は「いのち」とよみ、「生の霊」の意であろうとされている。「い」には「生き、息吹き」の意があって絶えず燃焼して自らを充足し、発展し、変化し、創造する働きのあるものをいう。(『風の旅人』十五号・白川静「人間の命」)
 「生の霊」と聞いて、記号のようでしかなかった「命」が俄然息を吹き返すほどの変わり様を、いま家族の間に感じている。大切なひとりを喪うという哀しみと、差し替えではあったのだけれど。
 当たり前のように過ごしていた家族との日々にも、見慣れて珍しくもなくなった家族の姿にも、実はいつも「生の霊」が息づいていた。そこにあるのは、「生の霊」が生きる素の姿だった。哀しみに暮れる娘の今の涙も、怒りも憤りも、妬みも恨みも悔いも、そのとなりにいると悩まされもするけれど、そのあとなぜか不思議とあったかくなる。影響されてこのおやじまでときに憤ったりもするけれど、それもまた飾らない生の温もりなのかもしれないと、思い直している。
 素の姿なら、孫娘を置いてほかにない。家中の空気を一変させる幼子の言動は、父親の死を境にしてもなにひとつ変わっていない。それどころか、幼気な「生の霊」の躍動は強まるばかりだ。喜怒哀楽にいちいち注釈を必要とするおとなたちの輪を断ち切るように、自由気ままに飛び跳ねている。さながら本能で生きる野生だ。「生の霊」には源があり、その源と共にある瞬間毎の発露のようだ。
 パパんとこ、と呼ぶ小さな和室には葬儀屋から借りた簡素な祭壇がそのままになっている。そのまわりで遊びながら、「いらないって」と孫が言った。母親業が日に日に様になってきた娘がひと言添えた。「そうなの、パパいらないって言ったの」。知ってか知らずか、幼子は見えない父親と自然に話をしている。 
 人の命が、その肉体が消えたあとにも息づいているものなのか、本当にはこの世の誰にもわかりはしないだろうが、それが「生の霊」であるなら、どんなに形を変えようが、変わらずに存在していておかしくはないだろう。父親の生き写しのような幼子と多くの時間を過ごすようになると、喪った人とのつながりが一層強く深くなる。(どうかいつまでも見守っていて欲しい)。願い祈る心が、遺されて息づいている「生の霊」たちの、互いを思いやるつながりを育てていくのだろう。
 娘から掲載の了解を得る話だった。伝えるべき上手な言葉が浮かんでこない。けれども撮る必然性なら紛れもなく感じている。きっとその中にすべての答えがあるにちがいない。
 あの晩、死んでも相変わらず優しい顔をしていた、下戸だったその若者と差しで飲んだ。(似合わないよ、そんな恰好)。きらきらと刺繍を施した赤い蒲団を着せられて横たわっている亡骸に向かうと、ほかにはかけるどんな言葉も出てこなかった。だから、代わりに撮り始めたのかもしれない。
 通夜の朝、幼子を抱いてパジャマ姿の娘が降りてきた。これが、三人がいっしょにいる最後の姿なのだ。そう思うと、撮らずにいられなくなった。パパは?と、きっといろいろに尋ねてくるにちがいない孫娘のために、今あるどんな瞬間もすべて留め置かなければならない。それが写真に出合ったじじいの努めでもある。三十年あまりも続けてきながら、はじめて、撮らなくては、撮りたいのだと、強く思った。
 もしもなにも起こらずに、当たり前のようにして生きて死んでいったなら、と考えてみることがある。娘との距離は当たり障りのないまま、近くも遠くもなく終わるのだろう。孫娘の成長を楽しみながら、それでもどこか他人事のように感じているにちがいない。娘と住むようになった別居の妻への思いはどうだろうか。連れ添った長い年月を思うと、それが短すぎた娘に申し訳ない気持ちになる。けれども長いだけでは不甲斐ないのだ。
 と、ここまで来てふと気づいた。このおやじでじじいで至らぬ夫の中でさえ、いま燃焼し、充足し出しているものがある。自分にも、家族との間にも、大きな変化があったのだ。家族を撮り、撮られながら、創造の日々を過ごしている、とも言えるのだ。なんということだ。ひとつの「生の霊」が、その命と引き換えに手渡してくれたものが、こんなにはっきりとした形となって息づいているではないか。命が、「生の霊」として、脈を打ち始めている。
 白川静さんの話は、こんなふうにつづいていく。
 漢字では、命ははじめ天の命ずるところを意味した。天の命ずるところは、人にとっては全く所与的なものであり、絶対的なものであった。人の生命も、もとより天命による。
 面と向かって投げ掛けたのでは届かない言葉がある。文字にしてこそ響く言葉もあるだろう。「生の霊」然り、天命、然り。だからこうして掲載の了解を得たいのだと、おやじのそんなわがままを娘はゆるしてくれるだろうか。天命によるこの「生の霊」をあなたならどう生きるのか。親子でする会話にしてはすこし堅苦しいテーマだろうか。せめて遺言のようにして、ここに遺しておきたい。

(『風の旅人』第43号より)